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zoom RSS 十割蕎麦かぜのたみ・天山歴史散歩5

<<   作成日時 : 2006/03/23 12:16   >>

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昨夜は「十割蕎麦かぜのたみ」店主による出張蕎麦会でした。30人くらいのお客さんで蕎麦会のお店も賑やかでした。ここのところ火曜・水曜の店休日も出張蕎麦のオーダーが多く、店主大忙しのようです。ありがたいことです。
今回も天山歴史散歩と言うのがちと大げさな太宰府政庁の話しです。写真の案内板にも説明ありますが、ホームページからのコピーでご勘弁願います。

『大宰府政庁跡(都府楼跡)は、かっては「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれ、九州を治める役所であった大宰府の政庁があった場所である。奈良時代から平安時代にかけて壮麗な建築が建ち並んでいたが、天慶3年(940)に藤原純友の乱で焼失した。今は広い野原にレプリカの大きな礎石が並んでいて、往時をしのぶことができます。また、そばにある大宰府展示館では発掘調査により出土した平安時代の遺構や出土品をそのまま公開しています。』(太宰府市ホームページより)

太宰府天満宮には多くの方が参拝されますが、この太宰府政庁跡周辺まで脚を延される方は少ないでしょう。天山歴史散歩4でも紹介しましたようにこの周辺まで見学されて初めて悠久の歴史が偲ばれます。いずれまた紹介しますが、太宰府政庁を守るために 663年白村江の戦い後、構築された水城(みずき)も近くにあります。九州国立博物館には縮小サイズのジオラマが展示されています。

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太宰府政庁案内板


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太宰府政庁案内板


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太宰府政庁

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太宰府政庁から西に伸びる都大路

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太宰府政庁:政庁の後ろが四王寺



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水城:四王寺から西にある牛頸山(大野城市)に向けて(写真では左山すそから左の方に)築いた土手。白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れ、連合軍の更なる攻勢に備えて築かれたもの。敵が来れば、御笠川に流れる水を堰き止め、政庁側を水浸しにして攻めをくい止める構造。
今はこの水城を、新旧国道3号線、高速九州道、JR鹿児島本線、西鉄天神大牟田線が分断しています。が、まだ1,300年前の構築をそのまま見ることが出来ます。


幾重にも山連なりて笑ふなり(紀明)



住所
福岡県筑紫野市天山537
092−926-5998
十割蕎麦かぜのたみ
営業時間 11:30〜15:30  17:30〜21:00
定休日   火曜・水曜 祭日は営業

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